2010年05月01日

吾いまだ剛なる者を見ず

5月1日(土)
今日は論語に学ぶ会の日


参加してみたーい
という方はこちらをご覧下さい
初めてのゲストさんの講義料は無料となります。↓
http://rongo.jp/unei/yamagata_juku.html



さて、ひさしぶりに
写論をはじまてみようと思います猫


公治長第五


子曰(しのたま)わく、
吾未だ剛なる者を見ず。
或る人曰(いわ)く、
申宲(しんとう)と。
子曰(しのたま)わく、
宲(とう)や欲あり。
焉(いずく)んぞ剛なるを得ん



通 釈
孔子云う、
「真に意志の強い者は見当たらんなあ」と。
或る人が、
「門人の申宲はどうですか?」
と云った。
孔子は、
「いや、宲はまだ私欲が抜け切っておらん。
私欲がある限り、イザという時に意志は
揺らぐものだ。
どうして剛者といえようか」
と答えた。


解 釈
平穏無事のときには見せなかった
正体をさらけ出すのが人間だ。
人間、このいざのときが肝腎だ。
いざとなって裏切りをやるか、
小欲につくか、大欲にひよるか。



高野師 講釈
剛とは、
意志が強いとか芯がしっかりしているという
意味ですが、孔子は、私欲があるうちは、
いざという時に意志は揺らぐといいます。
孔子は
「富みと貴きとは、是人の欲する所なり」
と云って、物欲も名誉欲も否定してはおりませんが、
私欲となると別物であります。
私欲とは「自分さえ良ければ」
とする欲望のことですから、
いざとなると、
裏切り・抜け駆け・詭弁・欺瞞
を生んでしまう。
人間は、この「いざという時」
が肝腎でありまして、
平穏無事の時には見せなかった
正体をさらけ出すのも
「いざのとき・一大事に遭遇したとき」
であります。
いざという時に物事に動じない人物を称して
「度胸が座った人」
「胆力のある人」
といいますが、
度胸が座らなければ、
中々「覚悟」というものが決まらないでしょう。
覚悟とは心の整理をつけることですから
私心や私欲があったら自己保身が
先に立って整理どころか余計混乱するばかりなんですね。
従って、「剛なる者」とは、
私心や私欲を放擲(ほうてき)して
覚悟を決めることの出来る人。


高野 大造 著 書いて味わう人生応援歌「論語」より
http://rongo.jp/aisatsu/aisatsu00.html



猫「火事場のばか力」
  すごいチカラがでるよね。
  今日の論語から外れてるかニャー?(爆)
  
posted by こんちゃん at 08:09| 山形 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 論語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私利私欲の
カタマりである
わたくしとしては
耳の痛いことでございます(>_<)!
せめて
愛と調和を祈るのみ
(T_T)ぴかぴか(新しい)
Posted by おーのっ at 2010年05月02日 15:42
おーのっさん
あなたは日々修行を
していらっしゃるじゃありませんか!
欲があるのが人間ですから〜
愛と調和の中にいつもいられるように
いたしましょうね。
Posted by konta at 2010年05月03日 09:10
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック