ひとり芝居寒河江公演を見に
東京から5時間以上もかけてやってきた
小僧と泉
その泉が
たしか・・・反省会(という名の親睦会)で
あいさつの時に言っていた、
「ある女優の物語」
それを私(泉)書くと・・・・。
その序曲のような文章をmixiに書いてくれていたので、
そのままコピーしました↓
私は私が言葉に出して表現できないもどかしさを
彼女はこのような文章で表現してくれた・・・
やはり・・・涙が出るくらいに嬉しい
山形のお話のつづき。
女優「今田裕美子」
こんちゃんが上演を続けているのは
ひとり芝居『真知子〜ある女医の物語〜』
山形県の、へき地医療に生涯を捧げた女性医師の物語。
実在の人物がモデルになっている。
まだ女性が社会進出することがまれだった時代、東京の医局から故郷のちいさな集落の診療所へ帰り、医師として、女として、人間として、様々な苦難と苦悩を歩みつつ人生を全うした一人の女性。
使命・人情・家族・克服・敗北・覚悟・生死・尊厳・挑戦・宿命・情熱・希望・孤独・懐古・愛情・疲労・別離・救済・永遠
「ある女性の生き様」という物語を背負ったこんちゃんは、主人公を懸命に演じ、描き、舞台の時空を泳ぐ。
舞台上たった一人で大勢の観客の心のひだに挑んでいる。
演劇の息吹は観客の心を次第にざわめかせる。
そこにドラマが生まれて何かが伝わり、何かが産まれ続ける。
観客たちの、感動のため息、感心のざわめきが私にもはっきりと感じられた。
物語は終わりに近づき、幕はやがて下りる。
観客の喝采の拍手が鳴り響き、舞台は終わる。
灯かりは落とされ、会場には祭りの後の静寂が訪れるはずだ。
それでも私にはまだ、うごめくように感じられる何かがあった。
なんだかな、うずく何かが心に触れる。
それは、もしかだけど、もしかしたら、こんちゃんの
「まだ、まだ、もっと!もっと!」
という、心のうごめきだったのではないか・・・
以降、私の勝手な妄想的想像を野放しにすることを許して欲しい。
もしもそうならそうとして
何故こんちゃんはそれほどまでに、この主人公を演ずることに貪欲になるのだろう。
それは単に役者としての本能からなのか?
故郷山形の偉人に対する敬意の表れか?
それはちょっと違うような気がしてならない。
主人公真知子が生きたこの物語が“語り得る”いくつもの“断片”や“心模様”や“道のり”や“在りよう”や
いろんなロゴス達が、何か特別な引力をもって、こんちゃんの表現欲や役者力をいざなっているのではないか?
そして呼応する、こんちゃんという人間の中にあらかじめ織り込まれていたエッセンスが、この“語り得る何か”を幾重にも描き出そうと内側から打ち震えて、悶えているのではないか?
だとするならば
この芝居は、変化も進化もしてゆくのだろうし、もっともっと深まり、高まり、広がってゆかなければならない。
すごいねこんちゃん!
なんだかわくわくするね。
だから東京に帰ってきてからもなんだか落ち着かないんだ。
芝居って、幕が下りると終わっちゃうからちょっとサミシイ。そのサミシサがちょっと苦手なんだけど、今度ばかりは少し違うみたいだね。
サミシがってる暇がない。
惜しんでる余裕がない。
観劇した舞台には、とっくに幕が下りたのに、私には未来しか見えないんだよ!
私は『真知子』を、もう何度も頭の中で繰り返し観ているよ。
少しづつ座席を変えて、前に行ったり、端っこに行ったり、舞台のソデから観てみたり。
出頭命令ありがとう。
今回の山形行きは、私の人生の中で、エラく大きなものになりそうです。
今田裕美子ホームページ
http://konchan55.com/
2009年12月02日
彼女の表現
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ご迷惑だったらすみません。突然、失礼しました。
Rb05tMb8
心のままに、すすめ〜\(^-^)/!!
早いね〜(爆)
続けて行くという事は
ご縁をもいただけるという事
なのかもしれないね。
もう動きだしてます。
きっと人を変えるパワーがあるんだよ!
言われたわけでも、なんでもないけど・・・
感覚でわかります。
もう私には伝わっています。
ありがとう。
えがおさん
あの芝居にはその力があるのかもしれませんね。
いつもありがとうございます。