私のひとり芝居「真知子〜ある女医の物語〜」
のモデルとなった人物である。
なぜ、私は彼女を題材に選んだのか・・・。
平成10年に15年あまりの東京暮らしから
故郷にUターンした時、小さい頃に思ったことと
同じ事を思った事がある。
「なぜ山形に戻ってきても役者という職業は存在しないのか?」
Uターンしてきた当時、
自分の意志で戻ってきたわりには、
田舎の風習になじまず、
話す言葉が通じず(理解や解釈の仕方が違う)
友達も少なかった私は、
(結婚や就職で地元に残っている人が少なかったし、
話す内容も合わなくなっていた)
高校卒業と同時に役者の道に入り、
舞台に携わってきたこの経験を
地元でもカタチにできないものか?
ということを常々考えていた。
それと、役者の集大成として
「自分がどこまでやれる役者なのか
ひとり芝居を演じ確かめたい」
そんな思いと、いろんな出会いが
重なり合おうとしていた時に
県民のあゆみ(平成12年9月号)に
ふるさと人物館「志田周子」医師のことが
掲載されていた。
なにげなく読み始めると、
勢いよく文章に引き込まれ
読み終わった時には
「私がこの人物を演じる!」
と確かなモノが私の内側から沸きあがった。
「こんなすばらしい人物を
同じ山形県に生まれていて知らなかった。
現代も生きていらしたら、さぞかし活動的に
子どものため、弱者のため、医療のために
奔走した人ではないのだろうか?
享年53歳は、早すぎる死だ。
まだまだやりたい事がたくさんあったはず・・・・。」
「私が舞台で演じれば、
志田周子さんは現代でも生きられる!
それから、謙虚で寡黙だったらしい
彼女の長年押さえてきたであろう
胸のうちを、感情を、
舞台の上で”しゃべらせたい!”
そして、私はその芝居を演じ、
沢山のお客様に観てもらうのだ!」
そんな事を考えたのは
忘れもしない平成12年9月初旬の時である。
それから、すぐに、ひとり芝居創りに
奔走しはじめました。
いつまでも
真知子を
こんちゃんを
応援します。
コンちゃんの使命だったのかもしれませんね。
「真知子」の舞台が、さらに多くの人に志田さんの思いを伝える場となりますように!
生き様に直結するお話ですね☆
ありがとうございます!!
ありがとうございます
当初からお世話になり嬉しく思います。
くろやぎ堂さん
まだまだ浅い所で演じていた事に
気付かされました。
あと、一週間ですが、根底をガラリと変えるかも。
たけさん
私の生き方が、この舞台なっんだと思います。
まだまだ厳しくならなければと思っておりますです。
改めて 感動しました。
想いを持ち続ければ、私にもこういう瞬間がやってくるかしら・・・
「継続は力なり」は自分で体験し実証しておりますです。