2009年10月24日

「じゃが芋の皮のむけるまで」
       俳優 東野英治郎より


今日も東野氏の自伝より


「苦労が売物のように、
いまでも顔に残っているようではいけない。
顔というものは怖いものである。
どんなことをしても、
かくすことができないものだ。
いわば、その人の人生の総決算書
みたいなものである。

安っぽく生きれば安っぽくなり、
いいかげな生き方をすれば、
いいかげんな、
しまらない顔になってしまう。

暗い苦労だけを背負い込んだような顔には、
なんの魅力もない。

顔というものは実にむつかしい。
いい顔になろうと思えば、
それだけの努力をしなければ
なれるものではない。


演技といってみたところで、
演技という特別なものがあって、
それで上手いとか、
まずいとかいうことではない。

人間が表現するものである以上、
その人間の中身と別に存在するはずがない。

最後には、その人の識見、思考が、
深さや幅となってものを言うのである。」


猫 思い当たる事があるすぎるニャー
   人間の中身の深さ・・・日々修行中ですニャー
     胆に銘じて行動するニャー
posted by こんちゃん at 08:18| 山形 | Comment(5) | TrackBack(0) | 映画・演劇・美術・ライブ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
たぬたぬのブログ?
(^^)
Posted by おーのっ at 2009年10月24日 09:00
おーのっさんのコメントを見て

名前に
「たけ」じゃなく「たぬ」とかきそうになった
「たけ」でごじゃいます(笑)

ほんとそのとおりやなあ

「顔」っていう芝居、かけそうな気が・・・
Posted by たけ at 2009年10月24日 13:35
おーのっさん
タヌタヌが代弁して答えてくれてるんですな〜(笑)

たけさん
台本!書いて!書いて!
おのーっさんの役もお願いね(笑)
Posted by konta at 2009年10月24日 16:29
この「顔」を読んで、
浅田次郎の『五郎治殿御始末』に
こんな文章があったのを思い出しました!

老いた武士が孫に語る言葉です。

「たとえ血肉を分けた子や孫にも
 身の上話など語るべきではない。
 人にはそれぞれの苦労があり、
 誰に語ったところで、
 わかってもらえるものではないからの。

 それにな、苦労は忘れてゆかねばならぬ。
 頭が忘れ、体が覚えておればよい。
 苦労人とは、そういう人のことだよ。

 語れば、いつまでも忘れられぬ。
 語らねば、忘れてしまう。
 だから、おのれのために、
 つまらぬ苦労話をしてはならぬ。」

ちょうど、この本を読んだのは1年前でした。

なるほど、苦労は語ってはならない・・・と思いつつ、
頭だけ覚えていて、体には身につかず、
自分ばっかり大変だと思ってしまいがち。。。 

やっぱり、「顔」は「人生」なんだね〜
 
Posted by えがお at 2009年10月24日 17:56
>苦労は忘れてゆかねばならぬ。
>頭が忘れ、体が覚えておればよい。

あ〜これなんだな〜と
今まではっきりしなかったモノが、この言葉で
すっきりしました。
ありがとう!えがおさん

Posted by konta at 2009年10月25日 11:39
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