子路(しろ)、
聞くこと有りて、
未だ之を行うこと能(あた)だざれば、
唯聞く有らんことを恐る。
(公冶長第五・仮名論語五六頁)
解 釈
子路(しろ)は、
一つの善言を聞いて、
まだそれを行うことができなければ、
更に新しい善言を聞くことを恐れた。
通 釈
安岡正篤(やすおかまさひろ)先生が、
孔子の歿年(ぼつねん)に達せられた頃、
「人間というものは、自分でわかったつもりでも、
なかなか本当のことがわからぬものである
ということをしみじみと感じられる。
私など「論語」はもう子供の頃から読んで、
ほとんど空で覚えておるくらい読み抜いてきたつもりでおるのですが、
はたしてどれだけ読めておったのかと思うと、
まことに恥ずかしいことで一向に読めておらない。
正に「論語読みの論語知らず」である、
ということをしみじみ感ずる」
と語られたことがあります。
〜後略〜
「論語に生き 論語を活かす」 伊與田 學 著より
覚えられないタイプですニャー
高野大造師の”書いて味わう人生応援歌「論語」”
http://rongo.jp/index.html
論語に学ぶ会 山形塾で学んでいまーす
http://rongo.jp/unei/unei00.html
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