子曰わく、
黙して之を識(しる)し、
學びて厭わず、
人を誨(おし)えて倦(う)まず。
何か我に有らんや。
(述而第七・仮名論語八〇頁)
解 釈
先師が言われた
「黙っていて、心に深く知り、
学んであくことがなく、
人を教えて怠らない。
そのほかに私に何があろうか」
通 釈
人は学べば学ぶほど、
ますます足らなさを覚えるものです。
その足らなさを自覚することによって一層学ぼうという気が起こる。
孔子は生涯、天や人や書によって学び、
晩年に及んで聖境に達した人であります。
一方
「教うるは学ぶに半(なか)ばす」
というように、
生涯倦むことなく教えた人でもあります。
真に教えようとすると、
また自らの足らなさをも発見するものです。
そうすると真剣に学ぼうとするので、
長足の進歩をすることになるわけです。
人間を完成させてから教えようと思えば、
生涯はその機会は来ないものであります。
「論語に生き 論語を活かす」 伊與田 學 著より
ここが事を成し遂げた人との違いかニャー?
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