子曰わく、
君子は其の言(ことば)の其の行いに過(す)ぐるを恥ず。
(憲問第十四・仮名論語二一六頁)
解 釈
先師が言われた
「君子は、自分の言葉が行いより以上になることを恥じる」
通 釈
人は生まれながらに、
他の動物とは比較にならない向上心を天より与えられております。
そして向上にあたっては、まず目標を持つことが大切です。
そうしてその目標に比べて大きな隔たりを感ずるときに、
目標に対して起こる心が「敬」であり、
自らを省みて、なぜ自分は及ばないかと思うときに起こる心が「恥」です。
したがって「敬」と「恥」は一つの心の両面であり、
「敬恥の心」の起こるところは人は限りなく向上します。
宗教は「敬」を基準とし、道徳は「恥」を基盤としているので、
健全な宗教には道徳の裏づけがあり、
道徳の裏づけには宗教があります。
孔子はその両面を具備した人でありますが、
どちらかといえば道徳を表としています。
ですから、その道徳の宝庫ともいうべき「論語」にも
「恥」が多く説かれています。
「恥」=「耳」+「心」
「はじ」または「はずかしめられる」と、
耳が熱くなり、赤く色づいてくるところからこの字(恥)が作られました。
恥を知ることを 「知恥」
あやまちをはじることを 「恥過」
心にはじておそれることを 「恥懼(ちく)」
「論語に生き 論語を活かす」 伊與田 學 著より

ちゃんーんと腑におちるニャー

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