曾子(そうし)曰(いわ)く、吾(われ)日に吾が身を三省す。
人の爲(ため)に謀りて忠(ちゅう)ならざるか、
朋友(ほうゆう)と交わりて信(しん)ならざるか、
習わざるかを傅(つた)うるか。
解 釈
曽先生が言われた
「私は毎日、自分をたぶたびかえりみて、よくないことははぶいておる。
人のためを思うて、真心からやったかどうか。
友達と交わってうそいつわりはなかったか。
まだ習得しないことを人に教えるようなことはなかったか」

”省”は「かえりみる」と読みますが、「はぶく」という意味がある。
〜反省とは、自分が行った事、行ったことを再生して見るのと同じ〜
曽子とは曽参のこと
孔子の息子の鯉(り)=伯魚(はくぎょ)が早死にした為、
鯉の子つまり孔子の孫の伋(きゅう)=子思(しし)を預かって訓育に務めた
立派な人物です。
「孝経(こうきょう)」という書物を残している。
曽子の訓育を受けた子思は「中庸(ちゅうよう)」という書物を著している。
儒教は、「自省自戒の学」或いは「反省の学」とも云われておりますが、
どうして自己を省みる・反省をそんなに重要視したのでしょうか?
皆さんは「自分のことは自分が一番良く知っている」と思ってはいませんか?
残念ながらそれは錯覚です。
本当は、自分のことを一番知らないのが自分自身なんです。
昔から、
「人を知る者は智なり。自らを知る者は明なり」
と云って、自分のことを知るというのは、本当に難しいことなのです。
(高野大造著 「論語」 あなたへの人生応援歌より)

高野大造師の”書いて味わう人生応援歌「論語」”
http://rongo.jp/index.html
論語に学ぶ会 山形塾で学んでいまーす
http://rongo.jp/unei/unei00.html
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