子(し)曰(のたま)わく、天、徳を予(われ)に生(な)せり。
桓(かんたい)其れ予(われ)如何(いか)にせん
解釈
先師が言われた「天は私に徳を授けられている。
桓(かんたい)ごときが私をどうすることもできないだろう。
桓 (かんたい)=宋の司馬(軍務大臣)で孔子を殺そうとした
(述而第七 仮名論語より)
通釈(伊與田 學)
信念というものは、心の奥底から発するものであり、
多くの書物を読み、また多くの人の意見を聞いて結論づけたものではありません。
その信念は、平穏無事なときには発揮されないものですが、
ひとたび思いがけないことに際会して、耐え難きを耐え、
忍び難きを忍んでいかなければならないようなときに、
大きな底力としてあらわれてくるものです。
信念は時には、優しい慰安者となり、
時には頼もしい救援者ともなるのであります。


一人々が「論語」に対する「私感」を持つ事が大切だそうです。
「論語に生き 論語を活かす」 伊與田 學 著より

たまにあります。
そんな状態になる時は”心の奥底から発してくるんです”ニャー

高野大造師の”書いて味わう人生応援歌「論語」”
http://rongo.jp/index.html
論語に学ぶ会 山形塾で学んでいまーす
http://rongo.jp/unei/unei00.html
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